なんで蔵元と杜氏は分かれてるの?(前編) | SACKET | 海外の飲食店・消費者と蔵元を繋ぐ、日本酒の情報インフラ
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なんで蔵元と杜氏は分かれてるの?(前編)

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伊澤 優花

2017/03/29

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日本酒は造り手を色濃く映し出す酒ですから、日本酒を知るということは、その造り手を知る、ということ。

普段、蔵の顔として表に出るのは蔵元(≒社長)ですが、当然その向こうには企業としての蔵の営みを支える人たち、酒と向き合い続ける杜氏や蔵人、自分たちのプロダクトの魅力を世に伝える営業、お客さんの元へ大切にお酒を送り出す詰め場の人たち・・いろんな人たちがいます。広義で皆が造り手であり、蔵のチームです。

蔵元と杜氏はCEOとCTO

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日本酒を知る、造り手をしる、その第一歩として蔵のチームの形、その中でも特に経営と製造それぞれのトップである蔵元と杜氏について考えてみようと思います。

蔵元と杜氏は、職責的にいわばCEO(Chief Exective Officer 最高経営責任者) とCTO(Chief Technology Officer 最高技術責任者) です。

しかし酒屋万流ですから、一口にCEOとCTOといってもその形は様々。蔵元のキャラクターや蔵の規模、ステージによって蔵のチームのあり方は変わってきます。

何百年という歴史をもち、十何代と続いてきた日本酒蔵は、よく何百年も同じ味を、同じ銘柄を作り続けてきたと思われることがありますが、そんなことはありません(例外として剣菱さんのように「味を変えない」ことを貫くお蔵もあります)。造り手を色濃く映し出す日本酒のコンセプトや味は、造り手が変われば変わります。イメージとしては代々続くDNAを引き継ぎながらも、技術も発展し、時代も変わり、当主の代が変われば蔵も変わる。プロダクトも変わる、そんな感じです。

蔵元と杜氏の関係(CEOとCTOの関係)という視点から3つのタイプ、「蔵元杜氏型」、「季節労働の杜氏雇用型」、「蔵元と社員杜氏の二人三脚型」に分けてみました。

蔵元杜氏

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いまの日本酒ブームの立役者であり、近年注目を集めている蔵元杜氏はCEO兼CTOと言えるでしょう。蔵元杜氏に憧れる若い蔵元後継者も多いと聞きます。

蔵元自らが造り手となり、自身の哲学や想いを投影し、ストーリーを持った日本酒はモノよりコト、物的豊かさより精神的豊かさを求めるバブル崩壊後の日本の・・・ひいては世界の現代社会の風潮にも合致し、人々に受け入れられました。造り手の見える日本酒というのは大手蔵の機械製大量生産に対するアンチテーゼでもあるのでしょう。いままで日本酒を飲まなかった層の人々もが日本酒に注目するようになり、消費が低迷する日本酒業界が再び日の目をみる時代を築き、昨今の日本酒ブームを牽引したのが蔵元杜氏です。

そんな現代の日本酒業界のスター、蔵元杜氏ですが、当の本人たちはなりたくてなったというよりも、止むに止まれぬ事情により、自分で造るほか致し方ない状況で模索し試行錯誤する中で結果的に蔵元杜氏となったという説明の方が合っています。

蔵元杜氏の一般的なサクセスストーリーというのは、高度成長期に安酒大量生産のために蔵を拡張したものの、大手蔵の全国的な流通拡大に押され影を潜め、その後の消費低迷の煽りを受け経営が悪化した状況へ畳み掛けるように杜氏が高齢や人材不足など様々な理由で来れなくなり、店をたたむかというときに、醸造を学んだ若い跡継ぎが蔵に戻り、安酒大量生産から特定名称酒の酒造りへと決死の覚悟で大改革を行う・・そのストーリーと、醸した酒の品質の高さが東京で認められ、プレミアム酒、ときには幻の酒として脚光をあびることになったというものです。

いわば危機的状況が生んだ、時代が要請したリーダー、風雲児です。

平成5年生まれの私は、その史実を肌身に感じてきたわけではないので、勝手に「偉大な蔵元世代」と呼んでいます。レジェントっぽいですよね?

季節労働の杜氏雇用スタイル

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蔵元杜氏が群雄割拠する昨今ですが、そうなる前には一般的だった、蔵元杜氏の蔵もかつてそうであった伝統的な酒造りの形態といえば、冬に杜氏が蔵人を引き連れやってきて蔵に住み込みでお酒を作るスタイルです。彼らは春〜秋は農業(漁業・林業)に従事し、農閑期(漁閑期・林間閑期)の冬に出稼ぎに来る季節労働者です。

この場合、酒造りは杜氏に一任され、資金の使い道などといった経営的判断から、全製造工程の監督、蔵人チームの人選や労務管理まで一切を行っていました。一方蔵元は製造免許を持ち、資金の調達や設備の提供、それから商品の販売・営業を担っていました。

オーナーと雇われ社長のような・・投資家と起業家のような・・・関係に見えなくもないですね。
造り酒屋にとって最も重要な、コア技術もアウトソーシング(外部委託)するなんてなんだか、これでいいのか?という気もします。しかし長年続いてきたことには何かしらの合理性があるわけで、もちろんこの季節労働の杜氏に酒造りを任せることが伝統的に行われてきたことにも納得のいく理由があります。

1. 固定費を抑える

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まずすぐ思いつくのが、必要な時だけ雇用することで固定費(人件費)を抑えることができるから。寒造りの場合、酒造りをするのは冬場だけなので、その期間だけ杜氏と蔵人に来てもえばいいのです。蔵元を必要な冬だけ杜氏と蔵人を雇うことで固定費を抑えられますし、杜氏と蔵人も夏場は農業をし、農閑期の冬に酒蔵に働きに出て給料を貰うことができる。お互いにとって都合のよい関係です。
また貨幣経済が定着する前の日本では「お米」が通貨としての価値をもっており、江戸時代には幕藩体制の財政基盤として「石高制」といわれる徹底した米本位制度が敷かれていました。武士のお給料も米で支払われ、藩の規模も石高で表されていました。加賀百万石(加賀:今の石川県金沢とその周辺)、仙台藩62万石の城下町のような表現で聞いたことがあると思います。今でも日本酒の生産量は石高で表されていますね。

通貨でもある「米」を原料とした日本酒製造は当然、幕府の統制下におかれることになります。
実はこの「寒造り」というのも幕府による酒造統制の施策のひとつで、それより前の江戸時代初期には四季醸造ならぬ五季醸造とでも言うのでしょうか、年5回作られていたとか。税収の大部分を酒税が占めていた当時、腐造によって貴重な米を大量に使った酒が無駄になるということは、それだけ税収、つまり幕府の歳入が減ることを意味します。幕府としては、それは困る。

そこで、酒造技術の改良とともに温度が高い季節の酒造りは腐造のリスクが大きいことがわかると、酒造りは気温が低く雑菌が増殖しにくい冬のみに限定されました。これが寒造りのはじまりです。冷蔵設備を完備して通年酒造りを行う四季醸造は近代的で、冬のみに酒造りを行う寒造りは伝統的な酒造りのイメージがありますが、実は通年醸造の方が伝統的みたいですね。

2. 生産量の変動に対応する

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日本酒の酒造統制はそれだけではありません。江戸時代中期の中興の祖といわれる8代将軍徳川吉宗の時代には、幕府の財政を立て直すべく、歳入に直結する米に関する施策(新田開発、大阪の堂島米市場の公認、上げ米など)をたくさん打ちました。米に関する改革ばかり行うので「米将軍」というニックネームまで付けられちゃいました。

懐かしいですね、学生のとき日本史で勉強しましたね。

通貨でもある米ですが、そもそも農産物なので豊作の時もあれば凶作のときもあります。つまり作柄によって通貨供給が変わる・・・でも、自然によって毎度インフレデフレが起こっては大変ですから、供給量を調整して、相場を安定させる必要があります。酒造りはその調整の役割にも使われていたようです。豊作のときには酒造りが奨励され、不作のときには抑制されました。歴史的に造り酒屋は常に幕府の財政政策に翻弄されてきたわけですが、このように毎年の生産量が変動するので、それに柔軟に対応するためにも、杜氏や蔵人を必要なときに必要なだけ雇用するスタイルが合っていたのではないでしょうか。

3つ目の理由は・・・後編で!